木曽福島
2008-11-05


禺画像]
連休を利用して木曽福島へ行ってきました。

 木曽福島はデビュー作「う・す・ず・み・い・ろ・の…」を撮影した場所です。
 木曽谷が何処もそうであるように、木曽福島も急峻な山に挟まれて谷底に「こびりついたような」街です。

 木曽と云えば中山道の宿場町がならび、江戸情緒の感じられるところと思われがちですが、木曽福島は昭和初めの大火であらかた焼けてしまい、どちらかというと昭和レトロな風情を残しています。街自身の観光も江戸で行くのか昭和で行くのか迷っているような節もありますが、どうも江戸優勢の感は否めません。

 私にとっての木曽福島はどちらかと云えば昭和レトロな印象があります。しかしその魅力はなんと言っても、複雑に入り組んだ路地と階段です。路地から路地へ、階段を上り下りすれば風景はその都度一変し、知らない間にもとの所に戻ってしまったりして、さながら谷底の迷路といった様相を呈しています。

 撮影の多くは夏にしましたので、木曽踊り…木曽のナ〜ァ中乗さァ〜ん、木曽の御岳ナンジャラホイ…の提灯や、祭りが近い時は御神燈が吊されしめなわが張られ、一種呪術的な雰囲気があって面白い作品が撮れましたが、今回は秋で提灯もしめ縄も外されさびしい感じがしました。またゆっくり撮影していて気付いたのですが、この街はウンザリするほどの電柱と架空線で紅葉とそのバックの美しい空を眺めるなんて事が出来ません。どこから撮影しても必ず電線が入ります。中部電力に圧力をかけて全ての電線を地中化させるべきです。

 今回、ゆっくりと滞在したおかげで、木曽福島のいろんな部分が見えました。その背景にある大都市と地方都市の違いもよく見えました。撮影だけではなくて随分と考えさせられる撮影旅行になりました。

 さて、その撮影旅行ですが…

 今回、202FAと501C、デジカメのDP-1とCP5200、それからPionyrIIを持って行きましたが、かさばるわ重いわでもう肩も背中も腰もがちがちに凝ってしまいました。やはり思い切って202FA一台で行くべきだったかと思いました。
 路地から路地へ軽いステップで撮影して歩くなら、装備の簡略化は必須だと思いました。
 なんで予備を持っていったかというと、飯付き旅館に泊まり新幹線に乗って…つまりはいつもの18切符+木賃ビジホの旅ではないから、撮れなければその分のお金がめちゃくちゃもったいないじゃない?という実にビンボーな発想と、例えば東京へ撮影に行くならカメラが壊れたところで現地調達すりゃいいじゃん?ハッセルもローライもそのへんで売ってるし、でも木曽福島じゃそうはいかない、というバブリーな発想との最大公約数から「予備機は必要」と判断したのですが、やはりビンボー人の発想はいけません。カメラが故障したら故障したで、別の手を考える…という大人(たいじん)の余裕ある発想をしなくちゃなりません。
 このあたり「一期一会」って事とどう妥協るか、難しいところです。

 でもこれって自動車で行けば全て一挙に解決するんですけどね。きっと木曽福島も自動車で来る人を不知不識想定しているのでしょう。
 鉄道旅行派の私は、次回からはカメラは一台にしようと、つくづく思ったのでありました。

 そんな久しぶりの撮影旅行。それでも結構楽しいじゃねーかって感じでした。でもま、気紛れな僕には18切符と木賃宿の旅が性に合っているかということも再確認しました。
[撮影地]
[随想]

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